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札幌地方裁判所 平成4年(行ウ)12号 判決 1997年1月28日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、昭和六三年一一月二日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  災害補償事由の発生

(一) 小塚宣夫(以下「宣夫」という)の粉じん作業歴

(1) 宣夫は、昭和二四年四月に茅沼炭鉱株式会社茅沼鉱業所(以下「茅沼炭鉱」という)に就職し、当初、採炭・支柱・さっ坑・救護隊訓練・運搬等の坑内作業全般に従事し、昭和三一年ころから退職する昭和三八年一〇月まで、坑内発破作業に従事した。

(2) 宣夫は、昭和三九年九月ころから昭和四二年九月ころまで、金原工業株式会社(以下「金原工業」という)で土木作業員として稼働した。金原工業において、宣夫は、道路工事・コンクリート工事・住宅土台作り・排水工事などの作業に従事した。

(3) 宣夫は、昭和四二年一〇月ころ、実弟の経営する株式会社小塚組(以下「小塚組」という)に専務取締役として入社したが、仕事内容は、住宅の土台作り・コンクリート練り・土砂砕石取扱い・はつり作業で、金原工業での仕事内容と大差はなかった。

宣夫は、昭和四七、四八年ころから工事現場の監督を行った。

(二) 宣夫のじん肺へのり患から肺がんにより死亡するまで

(1) 宣夫は、昭和三六年二月、茅沼炭鉱内でのじん肺検診を受けたところ、じん肺法に基づく管理区分(以下「管理区分」という)一と診断された。

(2) 宣夫は、昭和六二年二月二七日、左後頸部痛を訴え、落合病院の落合信彦医師(以下「落合医師」という)の診察を受け、その結果、慢性咽頭炎、慢性気管支炎及び肺腫瘍疑と診断された。この時撮影された胸部レントゲンには、左肺上野に十円銅貨大の円形陰影が認められた。

(3) 宣夫は、昭和六二年三月四日及び七日、栄通内科医院の鎌田剛医師(以下「鎌田医師」という)の診察を受け、肺がんの疑いがあると診断された。この時撮影された胸部レントゲンには、右肺中ないし上葉部に円形陰影が確認され、また、肺門リンパ線の腫しんも認められた。

(4) 宣夫は、鎌田医師の紹介で、昭和六二年三月一六日から二〇日までの間、医療法人恵和会西岡病院に入院し、西澤寛俊医師(以下「西澤医師」という)の診察を受け、肺がんと診断された。そして、外科的処置が必要との同医師の判断で、医療法人恵佑会札幌病院に転院した。

このころ、宣夫のじん肺の管理区分は、岩見沢労災病院安曽武夫医師(以下「安曽医師」という)により、管理区分三ロと診断された。

(5) 宣夫は、医療法人恵佑会札幌病院で、昭和六二年四月七日、肺右中下葉切除手術を受けたが、同年一〇月二五日、肺がんにより死亡した。

2  支給申請と不支給処分

(一) 原告は、宣夫の妻である。

(二) 原告は、被告に対し、宣夫の肺がんは業務上の疾病にあたり、業務上災害に基づく死亡であるとして、遺族補償給付及び葬祭料の支給を申請したところ、被告は、宣夫の肺がんは業務上の疾病にあたらないとして、昭和六三年一一月二日、これを支給しない旨の決定(以下「本件不支給処分」という)をした。

3  原告による不服申立て

原告は、本件不支給処分を不服として、北海道労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求を行ったが、同審査官は、平成元年九月一三日、右請求を棄却する旨の決定をした。

原告は、右決定を不服として、労働保険審査会に対し、再審査請求を行ったが、同審査会は、平成四年一一月一二日、右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決は、同月三〇日、原告に送達された。

4  本件不支給処分の違法性

宣夫は、肺がん診断時において、管理区分三ロのじん肺症に該当すると診断されていたものであり、宣夫の職歴からすれば、右じん肺は業務上の疾病に該当するものといえる。そして、後記のように、じん肺と肺がんの発症との間には、相当因果関係が認められるから、肺がんもまた業務上の疾病というべきであり、本件不支給処分は、違法である。

5  じん肺と肺がんの因果関係

(一) じん肺と肺がんの一般的因果関係

(1) じん肺患者の肺がん発症の危険度

じん肺患者の肺がん発症の危険度が一般的に高率であることは、以下のとおり、医学上確立された知見である。

① 佐野辰雄医師(以下「佐野医師」という)が昭和四二年に発表した「じん肺と肺がんの関連性―その病理学的検討」によると、五〇歳以上のけい肺(遊離けい酸を含む粉じんを吸入することによって発症するじん肺)患者のがん合併が注目され、病理学的見地からけい肺症の組織変化と肺がんの関係が密接と指摘されている。

② 岩見沢労災病院の昭和三一年から昭和四八年までのじん肺患者の剖検例二二九例のうち、肺がんを合併していたものは三七例あり、合併率は一六・七パーセントという高率である。これを踏まえ、藤沢泰憲医師(以下「藤沢医師」という)、菊地浩医師は、「けい肺症と肺ガンの合併についての統計学的検討」を発表し、じん肺症患者が、同年齢のじん肺症でない一般男子と比べて、六・六倍肺がんにり患しやすいことを指摘している。

③ 日本病理学会編集による、日本剖検輯報(以下「剖検輯報」という)は、日本国内の大病院及び大学病院すべての剖検例を網羅するものであるが、これによると、昭和三三年から昭和四九年までの剖検例のうち男子じん肺剖検例一一一五例のうち、肺がん合併例の占める割合は一五・七パーセント、全悪性腫瘍に対する肺がんの割合は四六・一パーセントであり、同年度の厚生省人口動態統計による全国の肺がん死亡者数の全死因に対する割合二・六パーセント、全悪性腫瘍に対する肺がんの割合一三・二パーセントに比べて、著しく高率であるとしている。

④ じん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議(以下「専門家会議」という)の検討結果報告書(以下「専門家会議報告書」という)によると、我が国のじん肺と肺がんの合併の実態は、じん肺剖検例及び療養者において高頻度であるとされている。

専門家会議報告書は、じん肺と肺がんは、病理学的考察では、合併頻度が有意に高く、じん肺による肺組織が気道上皮の再生増殖や何らかのがん原生物質の停滞局在を招き、肺がん発生の母地となる可能性を指摘し、疫学的考察では、検討資料の制約から確定的結論は出せないが、両者の間に何らかの関連性があることを強く示唆し、研究の趨勢は両者の医学的関連性を認める方向にあることを指摘している。

⑤ 千代谷慶三は、昭和五四年から昭和五八年までの全国一一の労災病院において治療を受けたじん肺患者を登録し、その後の経過と転帰を追うコホート調査(疫学的追跡調査)を「じん肺と肺がんの関連に関する研究」にまとめた。これによると、じん肺患者のうち肺がん死亡者数は、我が国の一般男子人口における肺がん死亡率から計算する期待死亡数の四・一倍の高率であり、この高い肺がん死亡率は、主として喫煙習慣ではなく、じん肺が本質的にもつ超過危険に由来する現象と理解されるとしている。

⑥ 森永謙二らの昭和四七年から昭和五二年までの大阪府下の要療養患者に対するコホート調査、千代谷慶三の昭和五八年から昭和六三年までの療養患者に対するコホート調査でも、じん肺患者のうち肺がんで死亡した者の標準化死亡比(観察死亡数/期待死亡数)は、それぞれ三・七倍、四・四一三倍の高率であった。じん肺患者の肺がん合併のリスクは、四倍前後の高率であり、じん肺と肺がんの高い相関関係を裏付けている。

(2) じん肺が肺がんの原因として作用する機序

じん肺が肺がんの原因として作用する機序が医学的に説明しうることは、今日広く了解されている。

① 佐野医師は、じん肺は粉じん巣の繊維化を起こすだけでなく、必ず粉じんのために気管支炎を起こし、気管支炎が長く続いたものほど次第に肺がんができやすい状態となり、最終的に発がんすると指摘する。

② 菊地医師は、じん肺性慢世肉芽組織又は瘢痕が気管支上皮、末梢気道上皮の病的増殖を起こすことより生じる通常の瘢痕がんの可能性及びじん肺性肉芽組織のがん原物質の局在可能性について指摘している。

③ 藤沢医師は、上皮の増殖性変化は正常な場合と比較して、細胞が分裂、増殖する頻度が高く、そのような組織の状態は発がん物質が作用した場合非常に効果的にがんを発生させることが実験的に明らかにされており、けい肺症においては、細胞が盛んに増殖して上皮が増殖を強いられるので、上皮の病変ががんの発生母地になるという事実がけい肺症に存在すると指摘する。

(3) 事実的因果関係の証明程度について

じん肺に関連する肺がん発生の機序について、医学的に解明済みの問題でないことを理由に、直ちに法的な相当因果関係を否定することはできない。

じん肺と肺がんの医学的関連性は、疫学的調査が重要ではあるが、それがそのまま法的因果関係に直結するわけではない。

疫学による因果関係証明の手法による構造は、自由心証主義のもとで裁判官が従うべき論理的経験則の組み合わせによる蓋然性の証明であって、裁判官による事実上の推定と同一であり、それはあくまで法的な判断であって、疫学の成果そのものではなく、その蓋然性は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることで必要十分である。厳密な意味での疫学的因果関係の存在の証明は不要であり、統計的な有意差が確認され、また症例報告その他の文献等の間接事実の集積により、特定の因子により特定の疾病が発症した蓋然性が高いと法的に判断することは可能であり、それで足りる。

(4) 以上より、宣夫の原発性肺がんはじん肺症に起因することが明らかであり、右じん肺症は粉じん作業に起因することから、右肺がんは業務上の疾病である。

(二) 宣夫のじん肺と肺がんの個別的因果関係

宣夫の病理組織診断によると、組織中にじん肺結節があり、肺がん巣の内部及び近傍にも軽度ないし中程度の同結節が認められる。勤医協中央病院の研究によると、このような症例については、三三症例中一一例の頻度でじん肺との関連性があると認められている。また、旭労災病院の統計によっても、強度ではなく、むしろ軽度ないし中程度結節性けい肺に、肺がんが多く合併することが認められている。したがって、宣夫の組織病理診断の結果に照らしても、宣夫のじん肺と肺がんとの間には、相当因果関係があるといえる。

6  よって、被告の本件不支給処分は違法であり、取り消されるべきであるから、原告は、被告に対し、本件不支給処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)(1)のうち、宣夫が昭和二四年から昭和三八年一〇月まで、茅沼炭坑で坑内職員として稼働した事実は認めるが、その余は知らない。

2  同1(一)(2)のうち、宣夫が昭和三九年から昭和四一年まで、土木関係の金原工業で土工夫として稼働したことは認め、その余は知らない。

3  同1(一)(3)のうち、宣夫が昭和四二年一〇月に小塚組に専務取締役として入社し、最初のうち現場作業員として土木関係の仕事に従事したことは認め、その余は知らない。

4  同1(二)は認める。

5  同2は認める。

6  同3は認める。

7  同4は争う。

8  同5(一)(1)の冒頭は否認する。その余の研究・報告の存在は認めるが、内容は否認する。

9  同5(一)(2)の冒頭は否認する。その余は知らない。

10  同5(一)(3)及び(4)は争う。

11  同5(二)のうち、宣夫の病理組織診断の結果については知らない。その余は争う。

三  被告の主張

1  宣夫のじん肺について

じん肺法では、じん肺のエックス線写真像の区分を基本とし、これに肺機能障害を加味して管理区分を一から四まで規定している。そして、①エックス線写真像が第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一を超えるものに限る)と認められるもの、②エックス線写真像が第一、第二、第三、第四型(大陰影が一側の肺野の三分の一以下のものに限る)で、じん肺による著しい肺機能の障害があると認められるもののいずれかに該当するものについては、管理区分四として、じん肺法二三条により、療養を要するものとしている。

しかしながら、宣夫のじん肺は管理区分三ロに属するものであって、療養を要するものとは認められない。

2  じん肺と肺がんの一般的因果関係

じん肺患者に発生した肺がんについては、以下のとおり、現在なお疫学的研究等によってじん肺との医学的因果関係が承認されるに至ったとは言い難い。

(一) 専門家会議報告書においては、原告が引用した佐野医師の論文、岩見沢労災病院の調査成績、剖検輯報の分析結果等をも含む関係医学文献・資料を基に検討した結果を以下のように報告し、じん肺と肺がん合併との因果関係について確認できなかったとしている。

(1) 粉じんの発がん性

じん肺の主要な起因物質であるけい酸又はけい酸塩粉じんの発がん性については、現時点においてこれを積極的に肯定する見解は得られなかった。

(2) 実験病理学的成果

じん肺と肺がんの病因論的関連性を解明するための有力な手段である実験病理学的手法については、この課題に即応しうる実験モデルの作成が今日なお極めて困難であり、したがって、これまでの実験成果から得られる情報は乏しく、限られたものしかない。

(3) 病理学的検討

① じん肺に合併した肺がんの組織型は、外因性肺がんの組織型と同様、扁平上皮がんが多い傾向にあるが、一般の肺がんに比較して、統計学的に有意な差はなく、現在までのところ、じん肺に合併した肺がんの組織像に特異性を認めることはできない、原発部位は、石綿肺における肺がん同様に下葉に多く、一般の肺がんが上葉に多いことと比べて対照的である、とされているが、外因性の肺がんには、喫煙その他非職業性の原因によるものが含まれ、単にがんの組織型や原発部位により、直ちに職業性のがんか否かを判定することは困難である、

② じん肺の進展度と肺がんの合併頻度の関連については、じん肺の進展が高度なものよりむしろ中程度又は軽度のものに肺がん合併が多いとする報告があり、一見、粉じん吸入量と肺がん合併頻度との間には量・反応関係を欠いているように見えるが、種々の検討を加えると、直ちに量・反応関係を否定することはできない。

③ じん肺性変化が肺がんの母地となる可能性があるとの報告はあるが、これを断定する証拠に乏しい。

(4) 合併頻度については、以下のような点を指摘している。

① ほとんどの報告は、じん肺患者が特定じん肺母集団の代表といえる標本集団ではないので、合併頻度の高低判断は難しい。

② 剖検輯報の分析結果は、記録されたけい肺症が全国のけい肺症患者で死亡した者から任意に抽出したものではないので、この高い肺がん合併頻度が一般人口を基礎としても高いかどうかの結論は下せない。

③ 最近では入院治療するけい肺患者の寿命が延長し、肺がん好発年齢に達する頻度が増加している。

④ 疫学的調査は、一般にじん肺の診断自体に問題があり、医療の対象になっていない者が含まれないおそれがあり、広くじん肺全体を網羅した調査を行いにくい。

⑤ けい肺に合併する肺がんの発生危険度は、既知の職業がんの場合の危険度に匹敵するほど高くない。

⑥ けい肺を主体とするじん肺患者の剖検例を検討すると、一〇から一六の高い肺がん合併率を示しており、注目すべきであるが、この傾向は、患者だけでなく、粉じんばく露作業者に普遍的に見られるものであるか否かは明らかでなく、今後の疫学的研究、実験的研究を含めた広範な研究成果に基づいて分析されることが必要である。

なお、疫学的情報については、その調査の実施に著しい困難を伴うため、極めて限られた報告しかなく、また、これらの報告は、調査方法が異なっており、母集団が明確でないものが多いため、じん肺と肺がんの関連性を論ずる場合に大きな支障となる。

(二) 右報告書が提出された後のじん肺と肺がんの関連のコホート調査研究結果報告には、①対象集団が、粉じんばく露を受けた者又はじん肺病変を有する者を代表した集団とは言えないこと、②療養中であって、医学的管理下におかれている者を対象としているため、肺がんの発見率が高いと考えられること等により、疫学的見地からはその評価に制約がある。

(三) また、国外における研究も、その多くは疫学的研究であるが、国内と同様、医学的見解の統一を見ていない。

以上により、じん肺患者に発生した肺がんは、現在でも疫学的研究等によってじん肺と肺がんの医学的因果関係が確立したとはされていない。

3  事実的因果関係の証明程度

相当因果関係の前提となる事実的因果関係の立証程度は、高度の蓋然性の証明が必要である。高度の蓋然性の証明とは、訴訟上の証明が人間の手によって、さらには時間の限界をもってなされることであるから、許容の限界として、真実の一歩手前、確実性に境を接する高度の蓋然性で満足するものであり、可能性があれば足りるのではなく、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることが必要である。

事実的因果関係は、自然科学が解明しようとする因果関係と同じものを対象としており、ただ、法的責任を問うための前提としての事実的因果関係においては、基本的な因果の構造が明らかになれば足りるとし、科学的確証までは必要なく、高度の蓋然性の証明で足りるということである。科学的確証が得られずに高度の蓋然性の範囲内で心証形成する場合も、当該時点で科学的証明がどこまで達しているかを見届け、これを基礎として諸般の事情によって補強しつつ、反証を克服して心証を固めていくものであり、その当時における科学的認識と共通の基礎に立つことが必要であり、科学的認識と乖離して心証形成することは許されない。

4  「じん肺症患者に発生した肺がんの補償上の取扱について」と題する労働省労働基準局長通達(昭和五三年一一月二日付け基発第六〇八号)(以下「六〇八号通達」という)について

六〇八号通達では、管理区分四と決定された者で現に療養中の者、及び管理区分四相当と認められる者に発生した原発性の肺がんについては、別表九号の業務上の疾病として取り扱うこととしているが、これは、じん肺と肺がんの医学的(病因論的)因果関係を認めて、じん肺症に合併した肺がんを業務上の疾病としているものではなく、また有害因子が特定できないが業務起因性の認められる疾病としているわけでもない。あくまでも特例的な行政上の措置として、じん肺に罹患した肺がん患者には、早期発見の困難・治療の困難・予後の悪化といった特徴があるので、私病である基礎疾病を業務により著明に憎悪したと同様に、業務上の疾病と取り扱っているにすぎない。じん肺管理区分二、三のじん肺に肺がんが合併しても、基礎疾病たる肺がんが業務によって憎悪したものと扱うことはできない。

四  原告の反論

六〇八号通達は、管理区分二、三のじん肺患者に合併した原発性肺がんとじん肺との因果関係の存在を積極的に否定するものではなく、じん肺と肺がんとの一般的な因果関係の存在を前提とした上で、管理区分四又は四相当の患者に合併した原発性肺がんについては、業務と肺がんの相当因果関係を推定するという、労災認定上の運用方針を示したものである。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

第一本件の争点

本件の争点は、宣夫の死亡が業務上のものであるか否か、具体的には宣夫の肺がんが業務に起因するじん肺によるものか否かにある。

第二前提となる事実関係

一  請求原因1について

当事者間に争いのない事実に、<証拠略>を総合すると、以下の事実が認められる。

1  宣夫は、昭和二四年四月、茅沼炭鉱に就職し、採炭・支柱・さっ坑・救護隊訓練・運搬等の坑内作業一般に従事した。昭和三一年一一月に発破の免許を取得し、その後昭和三八年一〇月まで、坑内発破作業に従事した。

昭和三六年二月、茅沼炭鉱内でのじん肺検診を受けたところ、管理区分一と診断された。

2  宣夫は、昭和三九年九月ころ、金原工業に就職し、土木作業員として、道路工事・コンクリート工事・住宅の土台づくり・コンクリートのはつり工事・排水工事等に従事した。

3  宣夫は、昭和四二年五月ころ、小塚組に専務の肩書で入社したが、従事した仕事は、住宅の土台づくり等金原工業のころと同様であった。

4  宣夫は、昭和六二年二月二七日、左後頸部痛を訴え、落合医師の診察を受け、慢性咽頭炎、慢性気管支炎及び肺腫瘍疑と診断された。この時撮影した胸部レントゲンには、左肺上野に十円銅貨大の円形陰影が認められた。

5  宣夫は、昭和六二年三月四日及び七日、鎌田医師の診察を受け、肺がんの疑いあると診断された。この時撮影したレントゲンには、左肺中ないし上葉部に円形陰影が確認され、肺門リンパ線の腫しんも認められた。

6  宣夫は、昭和六二年三月一六日から同月二〇日までの間、医療法人恵和会西岡病院に入院し、西澤医師の診察を受け、肺がんと診断された。外科的措置の必要のため、医療法人恵佑会札幌病院に転院した。

このころ、宣夫のじん肺の管理区分は、安曽医師により、左上肺野に大陰影A(径一センチメートルから五センチメートル以内)が認められ、じん肺による肺機能の障害はないとして、三ロと診断された。

7  宣夫は、昭和六二年四月七日、肺右中下葉切除手術を受けた。切除した肺には、けい肺所見が認められた。宣夫の右肺以外の部位には、がんの存在が認められなかった。宣夫の肺がんは原発性のものと認められた。同年一〇月二五日、宣夫は、右肺がんにより死亡した。

二  請求原因2及び3の事実は当事者間に争いがない。

第三肺がんの業務起因性の判断

一  肺がんの業務起因性について

1  労働者災害補償保険法所定の遺族年金給付及び葬祭料を支給するためには、宣夫の肺がんによる死亡が、労働基準法七九条、八〇条所定の「業務上死亡した場合」と認められなければならない(労働者災害補償保険法七条一項一号、一二条の八第一、二項)。

ところで、労働基準法七五条二項、同法施行規則三五条別表第一の二、一ないし八号は、業務上の疾病のうち、業務との相当因果関係が一般的に承認できるものを列挙し、右各号で網羅されない疾病は、九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」にあたる場合にのみ、使用者に補償義務が課されるとしている。

じん肺又はじん肺に合併した疾病は、前記別表五号で業務上の疾病とされているが、じん肺症患者に発生した原発性の肺がんは、右合併症に含まれていないから、業務上の疾病と認められるためには、九号に該当すること、すなわち肺がんと業務との間に相当因果関係が立証されることが必要である。そして、じん肺は業務上の疾病とされているから、じん肺と肺がんとの間の因果関係が肯定できれば、肺がんが業務上の疾病であると認めることができる。

2  なお、六〇八号通達は、管理区分四又は管理区分四に相当の患者に合併した原発性肺がんの業務起因性を肯定したものであるから、右通達により、管理区分三である宣夫に発生した肺がんの業務起因性を認めることはできない(右通達は、肺がんとじん肺との間の一般的な業務起因性を肯定した趣旨と解することはできない)。

3  そして、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性に確信を持ちうるものであることを要し、かつ、それで足りるものであるが、高度の蓋然性があるか否かの判断にあたっては、現時点における科学的認識を考慮の上、判断すべきである。

したがって、本件においても、じん肺と肺がんとの間の因果関係の有無については、疫学的知見、実験的知見、肺疾患に関する内科学・病理学等の現時点における医学的知見を考慮して判断すべきである。

4  以下、宣夫のじん肺と肺がんとの間に因果関係が認められるか否か、検討する。

二  じん肺と肺がんの一般的因果関係に関する医学的知見

1  専門家会議結果報告書について

労働省労働基準局長は、千代谷慶三を座長とする、じん肺の臨床研究、病理学、労働衛生、疫学等各部門の専門家を構成員とする専門家会議を設置し、これにじん肺による健康障害についての検討を委嘱した。専門家会議は、昭和五一年九月以降、右検討を行い、じん肺と肺がんとの因果性に関するレポートを見直し、最近の知見を加えて現時点における両者の因果関係に関する意見をとりまとめて、昭和五三年一〇月一八日付け専門家会議報告書<証拠略>を作成し、その検討結果を報告した。

右報告の概要は、以下のとおりである。

(一) 粉じんの発がん性について

無機粉じんの発がん性については、クロム、ニッケル、ベリリウム、石綿等による肺がん発生の動物実験の研究があり、その他発がん性が疑われる粉じんとしては、コバルト、酸化鉄等があげられている。

けい酸粉じんの発がん性については、一部に長期粉じん曝露実験において悪性腫瘍発生の陽性成績が得られたとの報告があるが、諸家の報告の多くは否定的な見解を示しており、現時点においては、この種の粉じんの発がん性について、積極的に肯定する見解を得られなかった。

(二) じん肺とこれに合併した肺がんとの病因的因果性について

(1) 実験病理学的成果について

吸入された粉じんは、その物理化学的特性によって、気管支、細気管支、肺胞を含む気道系及びその周囲の間質組織、肺内リンパ組織、胸膜等に複雑な生体反応を惹起し、じん肺性病変を発生させる。生体反応の場は、細気管支、肺胞系が中心である。この病変に急性及び慢性の感染症等による修飾も加わり、究極的には気道変化、肺の繊維化、気腫化等の様々なパターンのじん肺性変化に至るのである。

じん肺に合併した肺がんは、このようなじん肺性変化の進展過程のいずれかの時点において発生するが、両者の間の病因論的関連性については、今だ不明の点が多い。

これらを解明する有力な手段である実験病理学的手法については、右課題に即応しうる実験モデルの作成が今日なお極めて困難であり、したがってこれまでの実験成果から得られる情報は乏しく、限られた範囲のものでしかない。

(2) 病理学的検討について

剖検された多くの症例が進行した肺がんであるため、じん肺と肺がん発生の因果関係を病理形態学的観点から確かめることは難しい。しかし、比較的早期の肺がんとじん肺の組織学的関係の検討や、じん肺に合併した肺がんと一般の肺がんとの比較等を行えば、その因果関係の有無について何らかの示唆を得る可能性がある。

外因性肺がんの組織型は扁平上皮がんが多いとされ、じん肺に合併した肺がんは扁平上皮がんが多い傾向にあるとされているが、一般の肺がんに比較して統計学的に有意差はない。原発部位は、石綿肺同様下葉に多く、一般の肺がんが上葉に多いことと比較して対照的であるとされている。

しかし、外因性の肺がんには職業性の他に、例えば、喫煙のような非職業性の原因によるものが含まれるので、単にがんの組織型とか原発部位のみから直ちに職業性のがんか否か判定することは困難である。

じん肺の程度と肺がん合併頻度の関連については、肺がん合併例をじん肺エックス線病型別に、あるいは病理組織学的に観察して、じん肺病変の程度が高度なものよりもむしろ中等度又は軽度のじん肺に肺がん合併が多いとする報告がある。これは一見粉じんの吸入量と肺がん合併頻度との間に量・反応関係を欠いているように見える。しかし、じん肺における病変は極めて多彩であり、重症例は比較的若年で死亡すること等を考えると、じん肺病変の程度と肺がん合併率との関係のみをもって、直ちに両者の量・反応関係を否定し去ることはできない。

じん肺に合併した初期の微小がんの病理組織学的観察では、けい肺症性病変とがん病巣との間の密接な接触性と病理組織学的変化の連続性を認めた報告があり、厳密な瘢痕がん病理学的診断基準に適合する例も挙げられている。一方、じん肺性変化には気管支上皮細胞の増殖像、特に異形増殖像を伴うことがしばしばあり、慢性気管支炎、細気管支炎等を背景にした肺間質性繊維症では、末梢気道上皮の腺様増殖が多く、これらが発がんの母地となりうる可能性がある。

しかし、現状では以上の事実をもってしても、病理形態学的立場からじん肺性変化が肺がんの発生母地となりうると断定するには証拠に乏しい。今後じん肺における上皮内がん症例の成績の蓄積がなされ、それらとじん肺病変との病理組織学的連続性が証明されて初めてじん肺と肺がんの因果関係の存在が結論されると考えられる。

(三) じん肺と肺がんの合併頻度について

(1) じん肺剖検例の検討

剖検材料による肺がん合併頻度に関する内外の報告には、頻度が高いとするものと高くないとするものがあり、その傾向は一定しないが、一九六〇年以降の報告に限ると、高い合併頻度を指摘するものが多い。

剖検輯報は、わが国の大病院、大学病院のすべての剖検例を網羅し、わが国の剖検例のほとんど全例が収録されており、世界的にその量と正確度で最も信頼できる資料であり、一方、岩見沢労災病院は、北海道地域のじん肺患者の約七〇パーセントが受診し、死亡したじん肺患者の約七五パーセント(昭和四七年から昭和五一年までの平均値)を取り扱い、じん肺のセンター病院としての機能を持ち、かつ、同病院で死亡したじん肺患者は特殊事情のない限り全件剖検されており(昭和三一年から昭和五二年まで三二八例で全体の九四・三パーセント)、医師側の選択の可能性が少ないから、両者の各調査成績(前者については昭和三三年から昭和四九年、後者については昭和三一年から昭和五一年)をもって現時点において最も信頼するに足りるじん肺剖検資料であると考え、これらの資料と厚生省死因別統計とを比較検討した。それによれば、じん肺患者の肺がん合併率は、岩見沢労災病院剖検例では、初期の武田ら(昭和三九年)の二〇パーセント、次いで菊地ら(昭和四五年)の一六・七パーセント、藤沢(昭和五〇年)の一六・二パーセント、奥田ら(昭和五〇年)の一五・八パーセント、さらに昭和五一年一二月現在では、剖検総数三二七例中四九例(一五・〇パーセント)を示している。剖検総数が増加するにつれ、若干減少の傾向があるが、それでも一五・〇パーセントという高率を保持している。

一方、昭和三三年から昭和四九年までの剖検輯報に収録したじん肺は一一七二例であり、うち一七九例(一五・三パーセント)に肺がんの合併を認めた。これは、岩見沢労災病院の剖検例における比率とほぼ一致する。

一般に剖検例には医師側の選択が入り、特に悪性腫瘍に偏りが見られる傾向があるが、岩見沢労災病院のごとく、ほぼ全件が剖検される施設における成績と、全日本じん肺剖検例の成績が一致することは偶然とは考えられない。実際、肺がん合併率が北海道のみならず、四国をのぞく各地域ともに一〇ないし二〇パーセント、平均一五・三パーセントという高率を示し、また職種別で見ても、ほぼ一四ないし一六パーセントの程度で肺がん合併の認められたことは、じん肺における肺がんの合併が単なるサンプリングの偏りによるものでなく、有意に頻度の高いことを示唆している。

じん肺剖検例の部位別悪性腫瘍頻度を見ると、男子のみの全悪性腫瘍に対する肺がんの割合は、全国じん肺剖検例(昭和三三年から昭和四九年)では四六・一パーセント、岩見沢労災病院剖検例(昭和三一年から昭和四八年)では四七・一パーセントで、厚生省人口動態統計(昭和四九年)の一三・二パーセントより高く、全死亡に対する肺がんの割合も全国じん肺剖検例で一五・七パーセント、岩見沢労災病院剖検例で一五・八パーセントと、厚生省人口動態統計の二・六パーセントの約六倍を示している。口腔・咽喉頭がんの全死亡に対する割合は、人口動態統計の〇・二パーセントと比較すると、全国じん肺剖検例は一・三パーセント、岩見沢労災病院剖検例は〇・八パーセントで、それぞれ六・五倍、四倍と高く、全国じん肺剖検例及び岩見沢労災病院剖検例における全悪性腫瘍及び全死亡に対する割合が人口動態統計のそれよりもいずれも上回っているのは、肺がん及び口腔・咽喉頭がんのみである。他方、胃がんその他の悪性腫瘍では、右割合がほぼ同率かあるいは低い。これより、けい酸を含む粉じんは、上部呼吸器及び下部呼吸器に対して発がん性を促す方向に作用している可能性がある。

(2) 一般医療機関におけるじん肺合併肺がんについて

じん肺患者の医療を担当する全国一般病院施設における外来、入院患者の調査結果では、初診時に肺がんの症候のあったものが五六パーセントを占めていたが、全体として肺がんの合併頻度は高い傾向にあった。これらの症例の肺がん発見時のじん肺エックス線病型は、軽度もしくは中等度進展例が過半数を占めた。

右のとおり、じん肺患者のうち、剖検が行われた集団のみならず、けい肺を主体とするじん肺で療養中の患者集団においても、肺がん合併率が高い傾向が窺われる。

(3) じん肺と肺がんとの合併に関する疫学的考察について

じん肺患者における肺がんの合併について、臨床病理学的及び臨床疫学的ないくつかの報告を中心に、他のがん原性物質が関与する職業がんと比較しつつ、疫学的立場から、関連の普遍性、時間的関係、関連の強さ、関連の特異性、他の生物学的所見との一致性の各項目に着目して検討を加えた結果は、以下のとおりである。

クロム酸塩製造工程における肺がん、ベンジン又はベーターナフチルアミンによる尿路系腫瘍のような、いわゆる職業がんのクライテリアに入れられているものは、どの地域のどの調査でも、がん原性因子ばく露集団の中に特定のがん発生のリスクの高いことが示されている。

けい肺合併肺がんについては、わが国の臨床病理学的調査及び臨床疫学調査は、どのけい肺集団を取ってみても、すべて肺がん合併率の高い蓋然性のあることを示唆しているが、その程度は調査で若干異なっており、外国における調査でも、けい肺に肺がんの合併する頻度は高低さまざまで、一定していない。また、国内外とも、ほとんどの調査が一般人口を基礎としていないので、そのまま比較することは困難であり、その評価にも限界がある。

原因と結果の時間的関係については、けい肺合併肺がんは、けい酸又はけい酸塩粉じんのばく露開始後おおむね一〇年から四〇年経過後に発症しており、大部分が二〇年経過後であることは、既知の職業がんの場合に似ている。しかし、けい肺の肺がん合併のリスクは、既知の職業がんにおけるリスクに匹敵するほど高いものは認められず、肺がん発生の明らかな量・反応関係も認められない。ただし、全国的に見て、けい肺所有見者では、エックス線写真像のPR1からPR2が大部分を占めていること、重症例はより若年で死亡することを考えると、量と反応の関係は全く存在しないとは言い切れない。けい肺合併肺がん症例には、特異的な知見は得られていない。けい肺が大多数の肺がんに認められるという事実はない。肺がんの組織型についてみると、扁平上皮がんが一般の肺がんに比して若干多く、腺がんが少ない傾向にあるが、他の職業がんの場合と同じというほど顕著ではない。がん発生の部位は、けい肺例では肺下葉に多い特徴を有し、石綿肺合併肺がんの場合に類似している。なお、一般の肺がんは上葉に多い。

現在けい酸又はけい酸塩粉じんに明らかながん原性があるとの報告はない。

(4) 総括

以上を総括して考察すると、けい肺と肺がんの間に何らかの関連性のあることは強く示唆される。しかし、一方、既知の職業がんと同一レベルで論ずることができないことも事実である。検討した資料が既知の職業性肺がんに比べて量的に少ないこと、質的にも関連性の強さの程度が明らかでないことが、確定的な結論を引き出し得ない主因である。

2  海老原勇は、昭和五五年の労働科学に掲載された「じん肺における肺癌の発生母地」(<証拠略>)において、「大量の粉じん吸入により、粉じんが肺内の気道系、血管系に隣接する肺胞群に滞留し、細胞壁内に繊維芽細胞及び細網繊維が増生し、細胞壁が肥厚し、細胞壁を細隙状に狭小化させ、粉じん巣を形成する。多数の粉じん層が互いに融合して塊状層が形成され、この形成過程が発がんの母地となる可能性がある。また、気道に隣接する細胞群より粉じん巣が形成された場合は、粉じん巣による気道の圧迫や屈曲、閉塞等の変化が生じ、さらに粉じん巣の繊維化が気道壁に及び、気道壁の強い繊維化を生じる。また、粉じんは気道壁内にも侵入し、気道壁内に粉じん巣を形成したり、気道壁の繊維化を生じさせ、かような気道の繊維化を含む慢性炎症も発がんの母地となる可能性がある」旨指摘した。

3  千代谷慶三を主任研究者とし、その他に一二人の共同研究者で構成された「じん肺と肺がんの関連に関するプロジェクト研究班」は、専門家会議報告書の提案を前提とし、より広く医療機関における医学情報を収集してじん肺と肺がんとの関連を明らかにすることを意図し、昭和五四年一月から昭和五八年一二月までの五年間に全国各地の一一の労災病院において診療(労災保険によって療養)しているじん肺患者三三三五例を登録し、コホート調査の手法に従って、見込的な疫学的追跡調査を実施し、その結果を昭和六三年二月二三日付け「じん肺と肺がんの関連に関する研究―労災病院プロジェクト研究結果報告―」(以下「千代谷プロジェクト研究」という)(<証拠略>)として発表した。

その要旨は、次のとおりである。

調査期間中に死亡した六三六例中肺がんによる死亡が八七例(一三・七パーセント)であり、右肺がん死亡例のうちの観察死亡者(肺がん死亡者から、①療養開始時にすでに肺がん合併が診断されていたもの、②療養開始時には肺がん合併は診断されていなかったがその後一年以内に肺がんにより死亡に至ったもの、③転移性肺がんにより死亡したものを除いたもの)の数(O)はわが国の一般男子人口における肺がん死亡率から計算する期待死亡数(E)に比較して四・一倍(標準化死亡比、O/E)の高値を示した。これに対し、胃がん及び胃がんを除く悪性腫瘍のそれは、それぞれ一・一倍で、ほぼ一般男子人口の死亡水準を示した。喫煙習慣は標準化死亡比を相対的に高める傾向が見られたが、非喫煙群においても四・二倍を示しており、調査集団の高い標準化死亡比の主因が喫煙習慣に依存するものではないことを窺うことができる。合併肺がんの病理組織型は、類表皮がんが五〇例(五七・五パーセント)で最も多く、小細胞がんが一九例(二一・八パーセント)、腺がんが一〇例(一一・五パーセント)、大細胞がんが八例(九・二パーセント)であったが、顕著な差異ではなかった。また、職歴の長さ及び胸部エックス線写真に見られるじん肺の進展度と肺がん発生の頻度との間に、密接な量・反応関係は認められず、けい酸粉じんそのものの発がん性を否定する見解を指示する結果が得られた。

4  森永謙二らは、平成三年三月一日付けの日本労働医会誌に「珪肺と肺癌…大阪における珪肺認定患者のコホート研究」を掲載した(<証拠略>)。これは、昭和四七年から昭和五二年までの六年間に、大阪府下で管理区分四もしくは合併症による要療養と認定された石綿肺を除くじん肺男子患者二四八人を対象に、昭和六二年一二月末まで観察し、調査した結果を発表したものである。

その要旨は、次のとおりである。

観察期間内に死亡したのは七六人で、認定後三年以内に死亡した二一人を除く二二六人の標準化死亡比は全結核九・七九、肺がん三・七〇、呼吸器疾患四・一一で有意の過剰死亡を認めた。全対象のうち肺がん死亡者は一五人で、その病理組織型は、不明二人を除く一三人中扁平上皮がんが最も多く八例、ついで小細胞がん及び腺がんの各二例、未分化がん一例であった。肺がんの死亡者中一一人は喫煙歴を有していたが、肺がんの過剰死亡は喫煙以外の因子の関与も疑われた。

5  横山哲朗は、平成三年三月付け「じん肺症における肺がんの発生頻度に関する研究」(以下「横山研究」という)(<証拠略>)を発表した。

横山研究は、剖検輯報(昭和四八年から昭和六三年)に登載された剖検症例を統計的に解析した結果、じん肺症例に肺がんを合併する頻度は、非じん肺症例に肺がんを合併するものと比べて、一・六三倍±〇・一六倍であった、この値はじん肺症例(粉じん作業労働者)にヘビースモーカーが多いことから、喫煙の影響としてでも説明できる値であり、これをもって直ちにじん肺が肺がんの直接原因となったという根拠とはなりえない、日本及び外国の文献調査の結果からも、じん肺に肺がんが異常に高率に合併する事実の存否の結論は確立しておらず、両者が合併する傾向が存在するとしても、両疾患の発症に共通する要因が存在してじん肺が肺がんの原因になったとは簡単には断定できない、としている。

同時に、横山研究は、疫学調査とその解析方法について、以下のような問題点を指摘し、専門家会議報告書及び千代谷プロジェクト研究での疫学調査方法を批判している。

(一) 内外の研究者が報告した標準化死亡比を通覧するに、著しい高値を報告していた論文と二・〇以下の比較的低値を報告していた論文があった。一般に、後者は、限定された基準対照群を選び、その中からじん肺・肺がん合併対照集団を年齢、性別、喫煙歴などにつき厳密に対応した対照症例を選び出した研究であり、前者は、基準対象集団に国単位の人口動態等から算出した肺がん死亡率を採用した研究に多い。標準化死亡比がじん肺・肺がん合併の指標として統計学的に意味を持つためには、標準化死亡比算出の分子と分母とが相互に対応するものでなければならない。標準化死亡比について論ずるにあたって、関連の論文にみられる統計的方法の妥当性については、慎重に検討する必要がある。特に、対照の取り方に問題がないかを十二分に検討しなければならない。

(二) 剖検輯報には、個々のじん肺症例について、吸入粉じんの種類、粉じん作業歴、胸部エックス線所見、じん肺病歴、喫煙歴等の情報が記載されていない。これに登載されている医療機関は限定されており、登載された剖検症例数も全国死亡数のほぼ二〇分の一をカバーしているに過ぎない。これに登載される症例の医療機関は、物的、人的条件を必要とされていて、その選択はアトランダムではない。これらの医療機関に死亡まで入院し、治療を受けられる患者という観点からも、偏りがあることは否定できない。この偏りを認めた上で、統計処理を行うにあたっては、厚生省人口動態調査による統計を基準対照群に選ぶことには問題があり、剖検輯報登載の非じん肺症例の肺がん死亡百分比を選ぶことが妥当である。北海道岩見沢労災病院では、北海道のじん肺症例の剖検を九七パーセント実施しているので、北海道におけるじん肺死亡症例の全体を把握しているというが、剖検輯報には、北海道の他の医療施設におけるじん肺症例の剖検が多数報告され、岩見沢労災病院における剖検は、北海道におけるじん肺症例剖検の四〇から五〇パーセントに過ぎない。したがって、岩見沢労災病院におけるじん肺症例の剖検をもって、北海道におけるじん肺剖検を代表させることはできない。

(三) わが国におけるコホート研究においては、共通の手法として基準対照群の肺がん死亡率として、人口動態調査の成績を引用しているが、妥当ではない。このことは、人口動態調査(昭和六三年)で記載されている肺がん死亡率(〇・〇五六八)と剖検輯報登載症例のうち非じん肺症例の肺がん死亡百分比(〇・一一六)との間に大きな相異が存在することからも、理解できる。

なお、横山研究に対しては、山本真の反論がある。更に、水野正一の山本真らの疫学的検討に対する批判とこれに対する山本真や山本英次からの再反論もある。また、東敏昭からの山本真らの研究や横山研究に対する批判もあり、疫学的解析方法の妥当性については議論がある(<証拠略>)。

6  千代谷慶三及び斎藤芳晃は、平成三年一二月一日付けの日本災害医学会会誌に「じん肺における肺がんのリスクについて―量・反応関係に関する一考察―」(<証拠略>)を発表した。

右論文の要旨は、次のとおりである。

昭和五八年から昭和六三年までにけい肺労災病院において療養した四四歳から八九歳の症例のうち、エックス線写真に大陰影及びじん肺以外の合併症若しくは併発性肺疾患による陰影を持つ症例を除外した症例を対象に、それらをじん肺エックス線写真分類に従って三群に分け、それぞれの肺がん死のリスクを検討した結果、各群の標準化死亡比はほぼ同一の水準にあり、量・反応関係を示さなかった。しかし、この事実をもってじん肺と肺がんの相関を否定し去ることはできない。

7  和田攻らは、平成四年三月一〇日付け「じん肺症における肺癌発生頻度に関する文献的一考察」(<証拠略>)を発表した。

右論文は、以下のように専門家会議報告書や千代谷プロジェクト研究の疫学調査の方法を批判し、適切を考える手法を述べている。

けい肺患者ないしシリカ粉じんばく露者の肺がん標準化死亡比は、正しい比較対照がなされた各国からの報告では、一・一・から二・〇(仮の単純平均一・四三)前後とする例が多い。少数であるが、一ないし一以下と報告する例もある。けい肺剖検例を対象とした調査において、対照集団として一般人口(全国、地域別動態統計)を用いた調査には、その比較対照性に疑問がある。けい肺症が肺がん発生リスクをある程度高くする傾向は認められるが、特にばく露量や重症度と肺がん標準化死亡比との関連が一定せず、確実な因果関係はいまだ不明というべきである。けい肺が肺がん発生を促進するのか、あるいは、粉じんばく露がけい肺と同時に肺がんの直接原因となるのかは結論されていない。現段階では、ある固有の肺がん標準化死亡比値を求めることはできない。他の発がん因子(喫煙、ラドン系核へのばく露、PAH(発がん性多環芳香族炭化水素)の共存など)が疫学調査を困難にする交絡因子として指摘されている。

比較対照すべきは、標準化後の全国剖検例であろう。そうであれば、じん肺剖検例の肺がん標準化死亡比は一六・八/一〇・九=一・五となり、諸外国の調査事例と同じレベルのリスクになる。

8  東敏昭は、平成五年二月付けの「じん肺と肺癌との関連について」と題する意見書(<証拠略>)を作成している。右意見書は、専門家会議報告書や千代谷プロジェクト研究や水野の大阪におけるコホート研究の免疫的検討を批判するとともに、じん肺と肺癌の因果関係について、現状における知見を整理すると、最近の多くの疫学的研究が、じん肺症例群における肺がんの過剰死亡を報告し、因果関係を示唆しているが、以下の点を実証していない、と指摘している。

(一) 石綿を除く本研究で取り上げられているじん肺の原因となる吸入粉じんには発がん性が実験的に十分に証明されていない。

(二) じん肺・肺がん合併症例で吸入粉じんの種類・量との関係、とくに吸入粉じん量と量・反応関係が認められない。

(三) じん肺所見の程度と肺がん合併との間にも定量的な関係が認められていない。

(四) 合併症例で肺がん組織型に特異な所見が得られず、喫煙との相関が報告されている偏平上皮がんが大きな割合を占めている。

(五) 合併症例で肺がん発生部位についても、じん肺病変との関係が明らかでないことに加えて、上述の組織型の疑問がある。

(六) 極めて重要な事項と考えられるのは、喫煙のような大きな影響を及ぼす、交絡因子の影響を受けない、非喫煙者のじん肺症例群と対照群との間で、肺がん発生率の違いが認められた論文が、極めて少ない。

(七) 我国におけるじん肺と肺癌の合併症例のほとんどが喫煙者で、非喫煙者では稀である。

9  千代谷慶三、大崎饒ら大学、病院、研究所等に勤務する研究者、医師等一六名を構成員とする「じん肺り患者の病後の経過に関する調査研究委員会」が、第五五回じん肺審議会において、「じん肺にり患していた者の死因について、可能な範囲において、医学的疫学的調査を行うよう検討する」旨の議決がされたことを受けて設置され、平成二年度から三年計画で調査研究を実施した。平成五年、その結果を「じん肺り患者の病後の経過に関する調査研究結果報告書」(以下「調査研究報告書」という)(<証拠略>)にまとめた。

調査研究報告書の概要は、以下のとおりである。

(一) じん肺患者・死因調査

① 全国三六の労災病院に対し、平成三年二月現在、労災保険で入院又は通院治療を受けていたじん肺患者のじん肺、合併症、死因等に関する質問票を郵送し、回答を求めた。

解析の中心は、粉じんばく露と肺がん発生の関係とした。解析の対象数は、入院患者二七一、外来患者一八二二、死亡患者三四一の合計二四三四である。対象者の肺がん有病数は入院患者一〇、外来患者二二、死亡患者の肺がん死亡数一五であった。その結果、入院・外来・死亡の各患者において、エックス線写真像の区分と肺がん有病との間に統計学的有意な関係は認められなかった。じん肺患者死亡者における肺がん死亡の割合は、日本人死亡者におけるそれと異なるとはいえなかった。

② 労災保険傷病年金受給者台帳上に登録され、昭和六二年一月一日から平成元年一二月三一日までの三年間に同年金を受給したすべての男子じん肺患者一万七四七一人を対象として調査した結果、肺がんの標準化死亡比(対照集団の観察期間内人年数と同期間の日本人男子死因別死亡率との積を期待死亡数とし、これに対する観察死亡数の比)は二・一四となり、じん肺傷病者年金受給者の肺がん死亡率が一般集団に比べて高いことは確実であると思われる。しかし、調査対象者の職歴、ばく露物質など肺がんリスク要因に関する情報は得られておらず、また、じん肺及び合併症の病歴、病状等、肺がん発症との関わりを検討すべき項目についても、情報が得られていない。調査対象集団の肺がん超過危険に関与した要因が何であるのかは明らかでない。

③ 四四都道府県労働基準局で管理する健康管理手帳台帳上に死亡の記載のある男子五二人(死亡期間昭和四八年から平成三年の一九年間)を対象として調査した結果、健康管理手帳所持者全体、すなわち母集団に対する情報を入手できないため、相対死亡比(PMR)による解析を行ったところ、これは一・六〇となり、基準死亡比率の分母として悪性新生物総数を用いた場合は、一・九六となり、右じん肺患者集団においても肺がん死亡率が増加している可能性が高いことが知られた。

④ 本委員会が実施した調査解析を通じて言えることは、じん肺と肺がんの間に何らかの因果関係があるとしても、その強さという点から見れば、比較的弱い関係に止まるであろうということである。このために、調査対象の選択や解析方法の相異によっては、肯定的な結論が得られたり、得られなかったりするのであろうし、後述の文献調査においても、国外の研究が指向する趨勢をなお見定めがたいのも、両者の関係の弱さに起因するものであろう。

(二) 文献調査

じん肺り患者の病後の経過に関する疫学・病理学・臨床医学的国内文献、じん肺と合併症に関する外国文献を収集し解析した。コホート調査については、国外における少数の例外を除き、じん肺に合併した肺がんのリスクは、一般集団における肺がん死亡のリスクに比較して有意に高いと結論する報告が多かった。症例対照調査については、わが国では評価の対照にすべき報告が行われておらず、得られた国外文献の数も少数に限られた。そのうち、有意差を認める報告はイタリアから二題あるが、むしろ有意差を認めないという見解が支配的であると考えた。従事した粉じん作業、胸部エックス線写真のじん肺病型との関係は報告者によって異なり、一定の傾向を把握しがたかった。喫煙習慣が標準化死亡比を高める方向に影響するとの報告は多いが、同時に非喫煙のじん肺患者でも標準化死亡比が上昇することが指摘されている。

10  じん肺と肺がんの関係について海外における研究結果

海外における研究結果を見ても、(1)じん肺と肺がんの因果関係については、専門家会議報告書以後も国際的にコンセンサスを得られるような新たな知見を欠いている、(2)一部に行われている因果関係ありとする主張も、なお国際的に合意を得られるほどのものでない、(2)結晶状シリカへのばく露がヒトにおいて肺がんを引き起こすという証拠は十分でない、とされている(<証拠略>)。

五  宣夫の肺がんとじん肺との因果関係

1  前項認定の医学的見解(じん肺患者に肺がんの合併率の高いことを指摘する見解はあるが、昭和五三年に作成された専門家会議報告書では、じん肺と肺がんとの間の因果関係を肯定まではしていないし、平成五年に作成された調査研究報告書においても、じん肺と肺がんとの因果関係は肯定されていない)及び<証拠略>を総合すれば、じん肺と肺がんとの間の因果関係を肯定する医学的知見が確立されている、とは認め難い。

そして、じん肺(けい肺)の原因物質であるけい酸にヒトに対する発がん性があることは、いまだ確定されていないこと、じん肺患者に肺がんが発生する仕組みについての見解は、現時点では仮説の域を出ず、医学上の定説とは言い難いこと、じん肺合併の肺がんの発生過剰についても、これを肯定する見解に対しては疫学的批判があるし、そこで指摘される肺がんの発生リスク自体も一般に承認されている職業がんの原性因子のもつ発生リスクと比較して同等以上の危険性がある、とも認められないことや、六〇八号通達の趣旨等を考慮すれば、じん肺が肺がんを招来する高度の蓋然性がある、と認めることは困難である。

したがって、じん肺と肺がんとの間に一般的因果関係があることを前提として、宣夫の肺がんによる死亡が業務上の死亡である、とする原告の主張は採用できない。

2  原告は、宣夫の肺組織中にじん肺結節があり、肺がん巣の内部及び近傍にも軽度ないし中程度の同結節があるから、宣夫の肺がんがじん肺によるものである旨主張する。

確かに、成立に争いのない甲第一四号証によると、昭和五五年発行の第三一回日本肺癌学会総会号において、勤医協中央病院と旭川一条病院の臨床病理学的検討の結果として、けい肺症における肺内結節病巣と末梢型肺がん発生の関連性が示唆される、と報告されている。しかしながら、右知見が医学的に承認された、と認めるに足りる証拠はなく、これをもって、宣夫の肺がんによる死亡が業務上の死亡である、と認めることもできない。

3  右のとおり、宣夫の肺がんとじん肺との間には相当因果関係を認めることはできない。したがって、宣夫の肺がんが労働基準法施行規則三五条別表第一の二第九号にいう業務上の疾病とは認められない。

第四結論

よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小林正明 田代雅彦 関由美子)

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